武田雅哉さん

世紀末中国のかわら版―絵入新聞『点石斎画報』の世界 (中公文庫)の今度は「日本人」版というところ。武田雅哉さんのスタンスは時代背景、政治背景がどうであろうとも、軽妙でやっぱり面白い。
「我々」でなく「彼ら」として筆をとった時点で現実の事件もフィクションとなっていくということかしら。

ご近所の国との関係が「ぎくしゃく」しようと「緊張」しようと、ニュース原稿がどんな言葉で書かれようとも、自分自身とご近所の国との関係は揺さぶられたりしないなぁ。

祖父が戦前上海で暮していて、何度も自分が暮していた街へもう一度行きたいなぁ、と言っていたのにも関わらず一度も行かなかった(北京へは行ったのに)ことや、もう無くなってしまったけれど、台湾で役人をやっていた父を持つ大学時代の先生のことを思い出す。そんな簡単には言葉は出てこない。
祖父がどんな暮らしをしていたのか全然聞いたことがない。大学の先生はいろんなことを話してくれた。間接的に入ってくる文言よりも、何度も会って話した人の言葉の方がやっぱり体に染み込んでいると思う。