後から生まれてきた人

それでも子どもは減っていく (ちくま新書)

それでも子どもは減っていく (ちくま新書)

やっと読み終わった。
去年から頭の中でもやもやしていたものが、第二章、第三章あたりの過去の話を読んでガッシャン、ガッシャン整理されて、第四章でバリバリと再構成されたような感じ。
第五章ではむすめ1号のことを考えながら読んでました。

むすめ1号が生まれて出生届を出した後、住基ネットのコード番号を書いた紙を貰ったときに、なんだか重苦しい気持ちになった。
後から生まれてきたために、いろいろな制度の中に登録されちゃう人。それがこの国の子どもなのかな。
私たち夫婦は子どもが生まれる前は、子育てにお金がかかると思ってた。
子どもが欲しいと思うようになったのは、先に生まれた人が先に死んでしまうことに気がついたから。

親と私たちだけで、おいしいもの食べたり、旅行に行ったりするよりも、きっと子どもが引き起こすいろいろなことの方が、予想も出来ない喜びや問題が起きて楽しいんだろうと思った。

分類するなら「情緒的効用」ってことになるんだろうな。

あと、少子社会を生きる子ども自身の成長について考えるところでグサグサと胸に突き刺さるところがあった。
むすめ1号と私は幼稚園に入るまでべったりで過ごしてきて、私好みの世界に閉じ込めていたようなもの。公園や児童館でお友達と遊んだりしてきたけれど、むすめ1号が年少のときに生まれて生後一ヶ月から幼稚園生に触られまくりだったむすめ2号とは、人と接触した経験が段違いに少ない。
大丈夫かな、という親の心配をよそにむすめ1号は幼稚園でも小学校でも「友達と遊びたい」欲を爆発させて楽しんで過ごしている様子。

この本では「同世代経験」を重要視しているけれど、ある程度の低年齢の時代は同世代でもみくちゃになって遊んだり、おもちゃの取り合いをしたり、体を使った喧嘩をしたりする経験は大事なんだろうな、と思う。

むすめ2号が幼稚園に入れなかったら、小学校入るまでずっと一緒にいてもいいな、と思っていたのですが、少子社会を生きる子どもとしてはもっと「同世代経験」を積ませるべきなのかな、と思ったりしています。