随想

公園を散歩。
将来のことなど考えてみたりして、ま、一人の問題でないのでいろいろ流動的な要素が多く、何も決められることはなく。

「災害弱者」なんてキーワードがお腹の底に残っていたりして。

10年も経ちましたが、あの頃は強く強く「親族関係の網の目」の中に自分を埋め込んで生きていきたいと思いました。あの頃は「親族関係の網の目」なんて言葉は文化人類学の用語でしかなかったのですが。
人間は一人では生きていけない、そんなに地球は人間に甘くない、という感覚だけが骨身に刻まれています。

自分の将来像についてはやっぱ悲観的な人間なんだな、私は。