思い出すこと

今日はやはり早起きした。
ジョン·カビラはなんか喋ってたのかな。
あの頃毎朝J-waveを聞いていて、17日ごとになんかやっていた気がする。

あの朝は、友達の電話で起こされた。
研修で東京へ来ていて、うちに泊まった友達が夜行バスで実家へ向かっていた。彼女は途中でバスを下ろされ、私に電話してきた。
言われるがままにテレビをつけた。

家に電話をかけようとしたけれど、指がふるえてボタンが押せない。押すところを間違えたり、二度押したりして、何度かけ直したか分からない。
ちゃんと番号を押せても通話中でつながらなかった。

兄が起きてきて、二人でテレビを見て何も言葉が出なかった。
何度か家に電話をかけようとしたけれど、つながらないまま出かける時間になってしまった。

外に出たら東京はいつもどうりの景色、地震なんて嘘だったらいい、と思った。
私の家が神戸にあることを知る友達は多くなかったから、学校でどんな顔をしていたらいいのかわからなかった。

授業の合間に公衆電話から電話をかけるとつながって、母と話せた。
家も、家族も大丈夫だから心配しなくていい、と緊張した声で言っていたと思う。

母と話して安心したけれど、体はまだこわばったままで、サークルに出て少し体を動かしてから家に帰った。

家に帰ったら、新聞もテレビも震災のことばかりになっていた。
見るとキリがない。でも見ないと不安。という日々がその後ずーっと続いた。
新聞を死亡者名簿も含めて端から端まで読む私を兄は「悪趣味だ」と言った。

現実の東京の生活と、震災の報道、その間でどこかバランスがとれなくなっていたんだと思う。

追記
こんなことを書いておきながらも、なんというのかこの震災を「我がこと」として語ることには居心地の悪さを感じてしまう。
私はあの震災で何を経験したんだろう、いまだによく分からない。
ただもう、神戸にとって自分は「よそ者」なんじゃないかと思ってしまう。
もう、神戸は私の町ではなくなってしまったんじゃないか、震災で苦しんだり、苦労をしたりしなかった自分は神戸の人間ではもうないんじゃないか、なんて考えてしまう。
だからどこかの土地で、その土地の人間になって生活したい、そんな欲求が心の中にある。どこか自分の住みかになるのか、どこが子どもにとっての故郷になるのか、全然見えない。その不安定さに苛立っている。