基本姿勢

シュタイナー教育の本を読んでいていろいろ思ったこと。
新生児の頃は縫い目が外に来る肌着を来ていた。まだ肌がふわふわで柔らかいからね。今はもうそんなに着るものに気を遣わないけれど、目や耳で触れるものにはまだまだ気を遣った方がいいんだろうな。
目も耳も鼻も口も体の中への入り口だから、全部同じように入ってくるものには気を遣ってあげたい。

昔、妊婦雑誌で胎教のスケジュールなんて記事を見て、胎児の神経や感覚器官が発達することと、そこからの刺激を受け入れられるかは別問題じゃないかと思ったことがあるのですが、生まれた後も同じことだと思う。
今は0才児向けの知育おもちゃ、視覚や聴覚を刺激するおもちゃがあるけれど、感覚器官が働き出すからと言って、刺激を増量して与えていいわけじゃないとも思う。
なんというのかな、赤ちゃんにとっても親にとっても世界は既に誰かに作られて与えられているものなのじゃなくて、肌や手足や鼻や口や耳や目で触れて出会って作り上げていくものなんだという気がしてきた。

ビデオとかアニメに気が向かないのは上記のことが基本理由なんだなぁ。テレビを通してタンポポを知るよりも、公園や道ばたでタンポポに出会って欲しい、と思う。(誰でもこのぐらいのことは思っているだろうけど)
昔、テレビで宮崎駿が自分の映画に出てくる自然やその中での冒険を実際に体験してない子供たちが自分の映画でそれを体験してしまうのはどうかなと思う、みたいなことを言っていた。
映画のトトロ*1で猫バスが病院を目指して走るとき、周りの人には田んぼの稲や雑木林を揺らして風が迫ってきて、過ぎていくようにしか見えないというシーンがある。
わたしは木々の枝や葉を揺らして、風が自分に近づいて来て、通りすぎていくのを見るのが好きだ。そこにはやっぱり何かの気配があると思う。子どもの頃に青い麦畑を風が渡って行くのを見たことがある。光の波だった。とてもきれいだった。できれば自分の子どもにも体でそういう体験をして欲しい、トトロの映画を見るのは別にいつだって構わないのだ。
他人の物語を生きるより、まずは自分の物語を生きろ、ということだ。
子どもが触れる全てのものに対して、基本姿勢はこうだ。後回しにできるものはいつだっていい。子どもの今に注目して行こうと思う。

*1:私は実はトトロが嫌いです。トトロを嫌っている自分が嫌いです。テレビでトトロをやっていたときに、うちの父が「昔はこんな風景どこにでもあった」なんてことを言ったので、「その風景を私から奪ったのはおまえ達だろ」と瞬時に思ってしまいました。前世代への恨みって私も相当に持っていることを痛感したのでした。それ以来「トトロ好き」という人たちへの反発が育ってしまったみたいです。