幸せな子ども

日常生活に闖入者が現れて、いろいろあったこの一週間あまり。
感情が揺れ動き、頭も使いました。

最初は怒りと不信でいっぱいだったけど、自分の気持ちがどうしてこんなに重たいんだろう、と思ったら自分自身が怖かったことがよく分かった。
なんで怖いのかと思ったら、自分のことしか見えなくなっている人が怖いということが分かった。
なんでそういう人がこんなにも怖いのかというと、自分が子供のときの体験がベースにあることが分かった。

それから人と話していて分かったのは、
あのときの自分からずいぶん今は離れているということ。
子どもたちとの暮らしに幸せを感じられる程には十分に自分は幸せな子どもであったこと。
なんとか今までやって来れる程には十分に自分は幸せな子ども時代を過ごしたこと。

子どもたちを守らねば、というプレッシャーに時々は押しつぶされそうになる。
でも、「守らねば」と思えるということは自分も守られて育ったんだと思う。

そんなわけで、子どもたちに幸せな子どもでいて欲しい、と強烈に思うのは自分も十分幸せな子どもだったからだと思いました。

子どもたちは元気に育っています。
子どもたちの中から湧き出てくるものを見ているだけで今は十分だと思う。
もう少しの間私好みの小さな世界でぬくぬくこじんまり過ごそうね。もうじきにタッタカタッタカ走り出して、どんどん先に行ってしまうんだろうね。

むすめ1号の歯が抜けそうです。