穴に落ちる

自分が頭で考えている以上に怖いと思っていたり、頭で考えている以上に欲張りであると気がついたときに突然穴に落っこちてしまうのかもしれない。

今日も一人でいるとクヨクヨしてしまったけれども、回復してきました。

前回の手術が終わった後、夜中も何度も部屋に来た担当の助産婦さんの顔を思い出しました。出血を確認したり、体の向きを変えたり、一晩のうちに何度あったのか記憶がごちゃごちゃでよく覚えていないけれど、出血が落ち着くまでは診察のときの医師と助産婦さんの雰囲気が固かったことを覚えてる。

近所のクリニックでの検診のときに、前回の出産の話になって
「剥離は小さかったんだね」と言われた。
クヨクヨしているときは
「剥離は小さかったから、すぐに切らなくてもよかったんじゃないの」なんて文脈を想像してしまってさらに落ち込んでしまった。
でも今は「剥離が小さくて、無事にすんでよかったね」という文脈にできる。

出産に関してどうしてこうも細部にこだわってしまうのか、本当に謎である。自然と医療なんて座標軸の両端に書くことじゃないと思う。

一番大事なのは安全であって、それがあって個人の満足と新しい生活を始めるエネルギーが出てくるんだと思う。

「自然な」とか「オーガニックな」とか心地好い言葉に流されないで、そういうものを外側に求めないで、自分の中に探せばよいと思いました。

おや、これはこないだコーラスで歌った「いつでもなんどでも」の歌詞ではないですか。